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- 歯科医院の経営 -

2018.06.05 歯科医院事業継承塾

進化する承継

歯科医院”事業承継塾”

第4話 進化する承継

 
恒吉雅顕
ARM RIGHTS代表
資産形成コンサルタント
恒吉雅顕先生プロフィール

1972年 福岡県太宰府市生まれ
2006年 株式会社インベストメントパートナーズ設立メンバー
2014年 公益法人日本医業経営コンサルタント協会
コンサルタント認定登録
2015年 「開業医の為の資産形成塾」
幻冬社メディアコンサルティングより出版
  全国500人以上の個人開業院長、医療法人理事長を中心に、人生設計をサポートし、医院形態、規模、年代、地域性など、集積したデータをもとにリタイアメントにむけた資産形成の設計管理を行う。また、士業連携チーム(税理士、会計士、FP、弁護士など)と共に医療法人化、医療譲渡、相続、労務問題、スタッフ教育などの諸問題を幅広く解決している。

■未来志向の医院経営

K歯科医院のO先生は他所の医院に比べ、従業員の満足度向上に予算の重きを置く。人口減少が進むT市で人材確保については開業当初から危惧してきた。 売上が大台を突破するのはあたりまえとして、これが一過性ではなく継続させることに意味がある。そこには『ヒト』の力が欠かせない。将来の歯科衛生士を雇用するため、卒業後一定期間就労するという条件付で、衛生士学校の学費補助制度の導入を既にはじめている。 出身大学の非常勤講師として学生たちに現場の最新技術を授ける。
 
この縁を通じてO歯科医院の勤務医、さらには後継者候補となってくれれば幸いであるが、ライセンスを取るための講義と、取得してから学ぶべきものは質と量が全く違うことをできるだけ多くの学生たちに知って欲しいという思いで学生に向き合っている。   また最近ではスタッフ向けに、メンタルヘルスケアの専門家によるストレス緩和の気配りも欠かさない。さらに企業型確定拠出年金によるスタッフ一人一人の退職金の積み立てはO先生の意志ではじめた。K歯科医院は従業員の向上心を育み、さらに将来に向けて安心して働ける、物心両面が整った職場づくりの真っ最中である。  
 
 

■歯科医師というイメージ

小学生の頃、歯科検診をしていた父親に虫歯を見つけられたクラスメイトから「お前の親父のせいだ!」と詰め寄られたことがあった。「早く治療したら痛くなくなるよ」と諭しても同級生の腹の虫はなかなか収まらない。当時歯科医院は一般のイメージでは、できれば二度と行きたくない場所として位置づけられていた。院内に響き渡る金属音の恐怖とかつて味わったことのない痛みがトラウマとなり、痛みがなくなった喜びより苦痛だった思い出が強く残る歯科。
 
反対に医科は感謝され尊敬され慕われる。同じ医療に従事するものとは思えないほど天地の差があった。たまに両親が「歯科医ってなんか感謝されないなぁ」とぼやいていたのを覚えている。子供心にこの歯科の恐怖という敷居を何とかさげられないものかなと思っていた。良いことしているはずなのになぜか報われないジレンマみたいなものを感じていた。将来は歯科医師になる他に医師かエンジニアの選択肢があった。
 
17歳の時、歯科でレーザー治療が実用化されつつことがあることを耳に挟んだ。音も痛みも少ないこの技術はO先生にとって画期的な未来だと感じた。もしかしたら子供の頃のクラスメイトにレーザー治療は感謝されるかもしれない。医科とエンジニアの融合が歯科でできるのではないかと、点と点が重なり迷わずこの道へと進んだ。

 

 

■2つの選択肢

父も母も開業医である。父は一代で医院を開業したが、母は祖父の後を受け2代目として診療を続けていた。O先生は大学卒業後も博士号を取得し、非常勤講師として歯科用レーザーや審美歯科治療の研究を続けた。その後も地元の大学の助教として働いていた。研究に専念するか、もしくは審美歯科専門の医院を開設する予定だったO先生は実家に戻るつもりはなかった。
 
しかしある日転機が訪れる。母が体調を崩し1年以上閉院していた医院の患者さんを診てほしいというものであった。久しぶりに母の医院を見たとき愕然とした。ボロボロの天井は今にも落ちてきそうで、所々腐った床を慎重に歩くとミシミシと抜け落ちそうな音がした。色あせた動かない2台のユニット。写らないレントゲン。母が医院を閉めてからずっと時が止まっている。
 
しかしそこには母親に連れてこられた泣きじゃくる子供、痛みに耐え切れず頬を押さえて駆け込むおじさんの情景が目に浮かんできた。いろんな患者さんとの思い出が詰まった医院である。かつてこの場所に祖父や母を頼ってくる地元の人たちがいたはずだ。ひと段落したら地元を離れ人口の多い地域で審美歯科医院を開設するつもりだったO先生ではあるが、その地元の期待に応えることと感謝されたい二つの情熱が同時に込み上げてきた。その強い思いは、2年後移転再開業という形でK歯科医院を復活させた。無理に新規開業しなくても父親の後を継ぐという可能性もあった。
 
しかし二人の間で学んだ技術や治療方針は全く違っていた。現役の父親と同じ医院で経営していくことは上手くいかないことだと容易に想像がついた。
新しく自分の城を持ち、自分の100%理想とする医院経営がしたかった。
 
『鶏口となるも牛後となるなかれ』
 
父親がよく口にしていた言葉である。大きな組織の下位よりも小さくてもいいからトップになること。トップが二人いることで、避けられない争いが起こるよりは平和的な解決であったのかもしれない。この考えに共通点があった二人にとって母親の医院を継ぐという選択肢はお互いにとって父と息子はWINWINだったかもしれない。
   

 
 

■ゼロからプラスへの創造

「日本に歯科医が足りない」というO先生。全国10万人以上の歯科医師、6.8万件の歯科医院が供給過多とみなされ、歯学部の定員が減らされる現状ではあるが『良質な歯科医師の数』は圧倒的に少ないと言う。斜陽産業、ワーキングプアの代名詞となりつつある歯科という職業を何とかしたいという思いで、一つのプロジェクト 『30 under 30』 に協賛している。
 
スポンサークリニックの出資により無償で若い歯科医師(25歳~35歳)に30名限定で、世界トップレベルの基礎的技術が座学と実習で12ヵ月間学べるというものである。またこれまで大学、勤務先で培った自身の臨床のレベルを見つめなおすことも目的としている。若い歯科医師は学びの時間と何より費用が捻出できないため、年を追うごとに技術が自己流になっていくそうである。志高き若者の学びの機会損出を防ぎ、先駆者が支援することは未来を創る。
 
この生まれたてのオファーに昨年、100名ほどの応募予測の10倍の約1000名がエントリーした。プロジェクトの将来的目標は「なりたい職業ランキング」で歯科医師がトップテンにランクインすることである。マイナス(疾病)の状態をゼロ(健康)に戻す、そしてゼロを維持するための「予防」が現在多くの歯科医院が目指しているところである。O先生はこれからの歯科の役割は、 『健康と美しさの先にある、笑顔あふれる未来を創ること』、ゼロ(健康)からプラス(幸せ)の創造を使命とする と考えている。

 
 
 

事業承継とは何か ~ひとつの見方~

事業承継とは事業における 「人・モノ・金」の承継である。「人」とは「患者さん」の承継であり、また、「スタッフ」の承継である。「モノ」とは「診療所や設備、医療機器など」の承継である。「金」とは「医院に蓄積された資金」や、「のれん、つまり利益が出る構造」を指す。
 
ではO先生が移転開業したK歯科医院は医院の承継といえるか。K歯科医院は廃院後に数年が過ぎほとんどこの「人・モノ・金」を承継することはなかった。場所も移転したため「モノ」も引き継がず、患者さんの引継ぎもなかったと思える。当然ながらスタッフの引継ぎもない。つまり「人」の引き継ぎがなかった。ほとんど新規開業と同じである。ではO先生が引き継いだものは何か。O先生が引き継いだモノは、実は母が経営していた歯科医院への思いだけである。

実はこれも立派な承継だといえる。否、承継において重要なものが「思い」を引き継ぐことだといってよいと思う。親から子へ「思い」が伝わるのが事業の承継である。この「思い」は地域の患者さんへの思いであり、今まで築いてきた地域の人たちとの信頼関係であるそしてO先生は母の思いを自分の志に高めていった。『健康と美しさの先にある、笑顔あふれる未来を創ること』、ゼロ(健康)からプラス(幸せ)の創造を使命とすることが歯科医院の目的になった。さらに歯科という職業を何とかしたいという思いで、一つのプロジェクト『30 under 30』に協賛するに至っている。
 
自医院の経営を成功させるだけではなく、健康から幸せの創造を使命としたこと、歯科医師という職業を高めることを目的としたこと、新規開業では歯科医院の目的が上がっていくのは中々時間のかかることであるが、事業を承継したO先生の場合、スタートの時点がすでに母の思いであったため自分の志を大きくできたのだと思う。事業の内容は時代により変化していく。
 
歯科医院もその時代に合わせたサービスに変化しなければ生き残れない。歯科医院も環境の変化、特に人口構造の変化や口腔内の変化によって歯科医院の事業内容は大きく変わろうとしている。親から引き継いだ事業も時代の流れをキャッチし、大きく転換してかなければ生き残れない。事業の形態は変わっても、事業承継の意味は、「親の思い」を子が受け取ることであると思う。
 
実は日本は世界で群を抜く「老舗企業大国」である。創業100年を超える老舗企業が、個人商店や小企業を含めると、10万社以上あると推定されている。その中には飛鳥時代、西暦578年に設立された創業1,400年の建築会社「金剛組」や、創業1,300年になろうかという北陸の旅館、1,200年以上の京都の和菓子屋など、1,000年以上の老舗企業も少なくない。日本が誇る商人道が長寿企業を作ってきたと言われている。「親の思い」を子が受け取ることで志しが大きくなることと思う。K歯科医院はそんな承継だという気がする。
 

(税理士法人ネクサス 代表社員 角田 祥子)

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